「報道の自由とは何か」 原子力規制庁の前身である原子力安全基盤機構(JNES)に検査員として在籍していた藤原節男氏が、当時(2009年~2010年)にかけて行った原子力公益通報(内部告発)を、殆どのマスメディアは報道しなかった。藤原節男氏は、2009年3月の「泊原発3号機使用前検査での記録改ざん命令」拒否事件をきっかけに、合計4件の原子力公益通報を原子力安全委員会及び原子力安全保安院原子力施設安全情報申告調査委員会に申告した。これら4件は、福島原発事故につながる根本原因(是正処置不履行、再発防止策不履行)についての公益通報であった。 2010年8月から、経済産業省記者クラブに、原子力公益通報を記事にするよう要請を始めたが、どのマスメディアも取り上げようとしなかった。それから7カ月後の2011年3月8日に再度記事にするよう要請したが、その3日後の3月11日に東北大震災が起こり、その3日後に福島3号機が核爆発を起こした。
国民に必要な情報を提供しなかったという意味では、当時のマスメディアは総じて原発に関する意識が低く、東電と政府の見解を鵜呑みにしていたと言える。 さすがに福島原発事故後には、次のような報道各社が、原子力公益通報の記事を掲載し始めたが、朝日、読売、NHK、共同通信などの経産省記者クラブ詰めの各社は、当時になっても公益通報のことを報道しなかった。
★藤原節男氏公益通報を報道した報道機関 ①ウォールストリートジャーナル2011年6月16日号。 ②「原発検査員が告発、週刊現代2011年6月18日号記事」 週刊現代スクープ「私が命じられた北海道泊原発の検査記録改ざん」 ③ENENEWS: Japan nuclear expert Setsuo Fujiwara’s interview with SPA magazine, published Dec. 13, 2011 ④東京新聞2011 年 8月 22 日号、泊3号機、原子力安全基盤機構を元検査員告発「上司が記録削除を指示」抵抗すると「査定響く」保安院の評価恐れる? 調査の末に記録削除はせず。
★藤原節男氏が、経産省記者クラブに原子力過酷事故を予言したのは2011年3月8日、そして、その3日後の3月11日に東北大震災・大津波と災難が降りかかり、3月14日に福島第一原発3号機の核爆発事故が起こった。
藤原節男氏が行った4件の原子力公益通報の内容(下記)を、福島原発事故以前に、広く国民に知らされていたとしたら、福島3号における爆発を「水素爆発」として公表した東電及び日本政府の対応には国民の誰もが疑念を抱き、原子力安全委員会の嘘を見抜き、福島県民の避難においても、全く別の避難方法が選択されていたはずです。福島3号における爆発は「核爆発」であり、その後の避難勧告や除染による避難勧告解除などという安易な行政方式は、まちがった選択だと市民の誰もが理解できた筈です。そして原発被害に対して日本の各地で行われている「原発被害集団訴訟」も、司法判断も大きく変わってきていたはずです。
「これはまさしく報道する側の責任だった」ということも私達市民は知って置かなければなりません。原子力安全に不可欠の原子力公益通報を軽視するという報道機関の在り方についても、私たちは議論していかなければなりません。
今回の講演会では、岸井成格氏の「報道の自由の死守」と共に、原子力組織の最前線で活躍してきた藤原節男氏自身の長期に亙る原発技術者としての経験と、なぜ、原子力公益通報を行ったか、「原発の真実」が何故報道されなかったか、について藤原節男氏に講演をいただく予定です。ご本人の言葉として直接聴ける又とない機会だと考えております。 「報道の自由」と「言論の自由」とは正に表裏一体を為すものであり、この両輪なくしては民主主義は成り立って行かなくなります。
「岸井成格講演会;大阪大学会館」講演会第一部 ◆藤原節男「原発報道の虚偽と真実」 <藤原節男経歴> ◆和歌山県みなべ町出身。藤原儀三郎・美代子の三男として生まれる。大阪大学工学部原子力工学科卒。 ・三菱原子力工業(株)~三菱重工業;三菱グループ原子力品質保証統括室等に在籍。日本の原発(大飯・伊方・泊・川内等)のプロジェクトに係わる。2005年~2010年原子力安全基盤機構(JNES)検査業務部に検査技師として在籍。2009年3月、原子力安全基盤機構(JNES)での「泊3号機使用前検査での記録改ざん命令」に対し、隠蔽に加担できないとして2010年8月に公益通報を行った。 ・生年月;1949年4月生まれ ・1968年(昭和43年)3月 私立灘高等学校卒業 ・1968年(昭和43年)4月~1972年(昭和47年)3月 (4年) 大阪大学工学部原子力工学科卒業。原子力工学科では、原子動力専攻(吹田徳雄教授、藤家洋一助教授、宮崎慶次助手)で学ぶ。卒業論文は「液体ナトリウム沸騰ループ試験装置による液体ナトリウム沸騰現象実験」。 ★1972年(昭和47年)4月~1978年(昭和53年)3月 (6年) 三菱原子力工業㈱ プラント設計課系統設計係にて、玄海1/2号、大飯1/2号、伊方2号(工認、すなわち、「原子炉施設の設計及び工事の方法の認可」段階のプラント)の原子炉冷却系統、主蒸気及び主給水系統、原子炉補機冷却水系統、原子炉補機冷却海水系統、制御用空気系統設計を担当。この間、1974年(昭和49年)10月~1976年(昭和51年)3月に三菱重工業㈱ 神戸造船所軽水炉計画課に出向、その当時問題となっていた蒸気発生器細管腐食対策に参加。海外蒸気発生器トラブルデータ収集等、蒸気発生器トラブル発生防止システムを担当。 ★1978年(昭和53年)4月~1980年(昭和55年)2月 (1年11ヶ月) 三菱原子力㈱ 軽水炉プロジェクト部にて、川内1号建設段階プロジェクト、川内2号安全審査段階プロジェクトを担当。 ★1980年(昭和55年)3月~1982年(昭和57年)12月 (2年10ヶ月) 三菱重工業㈱本社 原子力品質保証統括室にて三菱原子力グループ(三菱重工業神戸造船所、三菱原子力工業、三菱電機、三菱重工業高砂製作所、三菱原子燃料)の全体統括品質保証(QA)マニュアル立案および、三菱原子力グループ内QAシステム監査員を担当。この間、米国原子力品質保証システム調査(米国出張3週間)を実施。 1983年(昭和58年)1月~1991年(平成3年)3月 (8年3ヶ月) 三菱原子力工業㈱ 軽水炉プラントプロジェクト部にて、敦賀2号建設プロジェクトを担当(工認段階から試運転、営業運転開始まで)、平行して、通産省プロジェクト「軽水炉改良標準化(工認標準化)」を担当。★1991年(平成3年)4月~1996年(平成8年)3月 (5年) 三菱原子力工業㈱系統設計部、三菱重工業株式会社本社原子力システム設計部にて、敦賀3,4号化学体積制御系統、廃棄物処理系統、濃縮ボロン(濃縮ボロン同位体B10の活用)電共研、電解研磨社内試験研究、既設プラント小口工事系統設計を担当。平行して、設計効率化委員を担当。 ★1996年(平成8年)4月~2000年(平成12年)6月 (4年3ヶ月) 三菱重工業㈱本社軽水炉プラント技術部にて、将来型軽水炉システム技術調査(NUPECプロジェクト)、発電設備技術検査協会プロジェクト技術窓口、将来型炉(SPWR)開発(電共研)を担当。平行して、設計効率化委員を担当。 (注)この間、通産省の委員会組織である「原子力発電情報高度化実施委員会」のプラント特性評価分科会、事故・故障分析評価分科会、信頼性評価分科会の委員を歴任。また、SPWR開発(電共研) プロジェクト担当として、渡米し、米国ウェスティングハウス社との技術仲介役を実施。 ★2000年(平成12年)7月~2005年(平成17年)3月 (4年9ヶ月) 日本原子力研究所東海研究所エネルギーシステム研究部将来型炉研究グループにて、低減速軽水炉(低減速スペクトル炉)技術実証炉研究開発プロジェクト担当。 ★2005年(平成17年)4月~2010年(平成22年)3月 (5年) 独立行政法人 原子力安全基盤機構(JNES)検査業務部に在籍、加圧水型原子力発電所(PWR)、沸騰水型原子力発電所(BWR)の定期検査、定期安全管理審査、溶接安全管理審査等に検査員、審査員として従事。 ●藤原節男が行った4件の原子力公益通報 (1)北海道電力泊原子力発電所3号機使用前検査記録改ざん命令について 2009 年3月4日と3月5日、泊3号使用前検査(減速材温度係数測定検査)を実施した。その結果は、3月4日は検査不合格、3月5日は条件付き検査合格であった。これを検査要領書に則り、検査記録を作成し、上司に報告した。上司は、検査記録のうち、1日目検査不合格記録の記録削除を命令した。藤原節男はその命令に従わず、記録改ざん命令の再発防止策を機構に求めた。機構は、記録改ざん命令は取り消した。しかし、記録改ざん命令の再発防止策については、取り合わなかった。そして、このため彼は機構内で不利益な処分を受けた。 (2)その記録改ざん命令の是正処置を行わず、問題を放置した原子力安全基盤機構(JNES)組織のあり方 。 (3)1999年に敦賀2号機で起きた再生熱交換器連絡配管破断事故 の原因究明をめぐる問題について。 1999年7月、敦賀2号で再生熱交換器連絡配管に亀裂が入り、冷却材が漏洩した。藤原節男は当時、三菱重工の事故対策本部にいた。三菱重工は、彼の主張した真の原因説を採用せず、対策費用が少なくて済む偽原因説(敦賀2号再生熱交換器特有の事故で、他プラントで事故は生じないという説)を採用した。三菱重工は、偽原因説を実証するために、模擬試験を実施したが、事故再現ができなかった。このため、模擬試験データを改ざんして、偽原因説を実証できたかのように装った。その結果、同様の事故が2003 年9月に泊2号で発生した。この時はしかたなく、真の原因説を採用し、泊2号を含む5プラントの再生熱交換器交換を行った。しかし、敦賀2号偽原因説は放置したままで、偽原因説再発防止対策を実施しなかった。 (4)JNES(原子力安全基盤機構)において、検査ミスを報告する際に本来の報告簡略化した書式(裏マニュアル)で済ませていることについて。 原子力安全基盤機構には、本来、検査ミスは不適合管理要領(正規マニュアル)に則り、処置する規程がある。しかし、検査業務部では、本来の不適合管理要領を使わず、簡略化した書式(裏マニュアル)で済ませていた。外部発表も行わなかった。このため、検査ミスの不適合再発防止対策が、おろそかとなった。 福島原発事故後、2011年12月9日に、総務省独立行政法人評価委員会は、この公益通報(4)により明らかになった検査ミスの実態により、原子力安全基盤機構(JNES)に業務見直し要求をした。「JNESでは原子力事業者等出身者を多数採用しており、検査の中立性・公正性に疑念が生じている。過去にJNESでは検査ミスが相次いで発覚した」と報告(原子力公益通報裁判甲第49号証の1)。 <原子力公益通報の経過と結果>
福島原発事故以前、原子力安全基盤機構(JNES)に原子力発電所検査員として在職中、藤原節男は、2009年3月の「泊原発3号機使用前検査での記録改ざん命令」拒否事件を切っかけに、上記4件の原子力公益通報を原子力安全委員会及び原子力安全保安院原子力施設安全情報申告調査委員会に申告した。これら4件は、福島原発事故につながる根本原因(是正処置不履行、再発防止策不履行)についての公益通報であった。また、JNES検査員職務を全うするための公益通報であった。しかし、4件とも「原子力安全に関係しない」として、申告が不受理となった。また、公益通報を行ったがゆえに、2010年4月、60歳定年後の、原子力安全基盤機構(JNES)への再雇用を拒否された。そこで「これは大変。このままの原子力村組織では、いずれ、チェルノブイリのような大事故が生じるにちがいない」と考え、原子力安全基盤機構(JNES)を相手に、高年齢者雇用安定法違反を理由にして、職場復帰のための民事訴訟を提訴した。 ※2011年3月8日、いつまでも公益通報を記事にしない経産省記者クラブの記者たちに、藤原節男氏は「このまま公益通報を記事にしないで、公益通報(内部通報)が無視されている状態が続けば、明日にでもチェルノブイリ級の大事故が生じる。すぐに記事にするように」とのメールを送った。東日本大震災、そして福島原発事故が発生したのは、その直後、3月11日のことだった。「福島3号核爆発」は、原子力公益通報[泊3号減速材温度係数測定検査]と同じ原理であり、東電の規制基準(使用済燃料プール未臨界設計)違反、業務上過失となることは明白な事実なのです。 2011年3月11日の福島原発事故後には、原子力安全委員会及び原子力安全保安院原子力施設安全情報申告調査委員会に対して情報の再審議を申告した。原子力安全保安院原子力施設安全情報申告調査委員会からは、2011年4月28日付け回答を受け取る。この期に及んでも、申告不受理であった。「原子力安全に関する公益通報」の内容を委員会自ら調査検討せず、機構側言い分をそのまま調査結果として採用し、申告を「原子力安全に関係せず、として不受理」と退けた。この行為は、公益通報者保護法の趣旨に違反し、原子力安全に敵対する行為であり、法律違反である。また、原子力安全委員会からは未回答だったので、2012年10月20日、旧原子力安全委員会;班目委員長宛の「原子力安全に関する再申告について(回答公開請求書) 」を原子力規制委員会;田中俊一委員長に再質問、回答請求した。しかし、2012年11月19日付けの原子力規制委員会からの回答は「原子力安全に関係しない、不受理。原子力規制委員会の業務は、旧原安委、旧保安院の決定を引き継いでいる」というものであった。次のURLにて公開中。 福島原発事故以降は、日本最強の脱原発弁護団(海渡雄一弁護士、光前幸一弁護士、日隅一雄弁護士、只野靖弁護士、中川亮弁護士)を擁して、東京地裁から、東京高裁、最高裁へと闘った。しかし、行政府に支配された裁判所での判決は「全面敗訴」という結果に終わった。これら全ての経緯は、藤原節男の著書「原子力ドンキホーテ」に、実名記録として、まとめられている。 =========================================== 「岸井成格講演会:大阪大学会館」(2016年9月13日―火曜日―13時30分~17時) 岸井成格氏の一般の方を対象とした講演会は今回が初めてです。今後は、日本各地での講演会も予定されつつあります。市民の皆様の喫緊の課題「格差社会の是正」「経済的安定」「戦争の永久放棄」「世界の平和共存」「貧困撲滅」「イスラムテロの根絶」等々、すべての社会機構の改革は「報道の自由」「言論の自由」なくしては実現されず、時の政権の思うがままに操られる社会になってしまいます。市民の皆様の積極的な支援と連帯こそが明日を創る最大の原動力となります。市民の皆様のより多くの講演会への参加をお待ち致しております。年齢も性別も職歴や貧富の差などを乗り越えて新たな明日を創造していけることを願っております。
※「岸井成格講演会:大阪大学会館」の詳細とお申込みページ
※「岸井成格にエールを送ろう」「藤原節男にエールを送ろう」のキャンペーンページ 皆さんの励ましのエールを送って下さい。このキャンペーンページは幅広い市民の皆さまからのご支援をお願いしたいと考えております。皆さんからのご賛同宜しくお願い致します。
Youtube版:シュスタコーヴィッチ作曲「交響曲第5番第3楽章」
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