法と民主主義

特集;安倍政権と言論表現の自由

 ー日本民主法律家協会ー

 

  2016年2・3月号の特集


安倍政権によるメディア介入と言論・表現の自由の法理

  ー右崎正博ー

      獨協大学教授

第二次安倍政権によるメディアへの介入事例として、NHKへの政治的関与をとくに指摘しておく必要がある。NHKには経営に関する最高意思決定機関として経営委員会が置かれているが、その二名の委員は、両議員の同意を得て内閣総理大臣が任命するとされている。

このような仕組みの下で、安倍首相は、自分に近い考え方を公言する.百田尚樹氏(作家)や長谷川三千子(埼玉大学名誉教授)を経営委員に任命し、その経営委員がNHK会長を任命する権限を与えられているため、経済界から籾井勝人氏を会長に起用した。

しかし、籾井会長は、会長就任記者会見の席で「特定秘密保護法案」を容認するなど政権寄りの発言を繰り返し、言論機関である公共放送の最高責任者として果たして適格なのかという疑問を提起することとなったし、また、籾井会長の下でのNHKが安保関連法案への反対デモをことさら報じない姿勢にも疑問が投げられてきた。

 

憲法二一条「言論・表現の自由」の法理

憲法二一条が保障する「言論・表現の自由」は、何よりも国民の自由な表現行為への国家による干渉や介入、制限や抑圧が排除されなければならない、ということである。そして、政府に対する批判の自由こそが表現の自由の中心的目的であるといわれる。

しかも、表現の自由は、民主主義を支える基盤となることから、人権の体系の上で「優越的地位」にあることも広く承認されている。

そして言論・表現の自由の保障の核心は、多様な価値観の存在を前提として、誰もが制限されることなく自由に思想や意見や情報を発信できること、さらに言えば少数意見や反対意見を自由に表明できることにある。

高市総務大臣や安倍首相の答弁には、政府が政治的公平性を判断できると勘違いしているふしがある。

そもそも政府が政治的公平性を判断するということになれば、政府が認める公平性しか容認されないことになり、多様な価値観を前提とする憲法二一条が保障する表現の自由とは両立しえない。

 

表現の自由は民主主義の基盤をなすものである。表現の自由を制限することは民主主義そのものを空洞化し、憲法全体を機能不全に陥らせることになる危険が大きい。それは立憲主義そのものを破壊するに等しい。政権や与党の意向に沿わない少数意見や反対意見に対する不寛容さは、自民党の改憲草案を先取りする動きなのではないか。

日本国憲法の下で私たちには表現の自由が認められていて、その核心には政府を批判する自由がある。少数意見や反対意見への不寛容さは、結局、憲法の人権保障の原理を敵視することにほかならないことを、改めて確認しておきたい。

  ー本文より一部抜粋ー

情報統制に向かう日本 進む放送介入

  ー田島泰彦ー

       上智大学教授

 

「私たちは、違法な報道を見逃しません。」といういささか大仰なタイトルの意見広告が2015年11月14日に産経新聞朝刊、15日に読売新聞朝刊に、それぞれ1ページ丸ごと使って掲載された。(2016年2月13日の読売新聞朝刊には「視聴者の目はごまかせない」とのタイトルでも意見広告が掲載された)。

広告はTBSの報道番組、NEWS23のメインキャスターである岸井成格氏を名指しで批判するものだった。広告を出したのは「放送法遵守を求める視聴者の会」という組織で、呼びかけ人は代表のすぎやまこういち、渡部昇一、ケント・ギルバートなどが名を連ねている。

問題視されたのは、安保法案成立間近の2015年9月16日の放送で、岸井氏が「メディアとしても廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだと私は思います」と発言した点だ。

広告では、岸井氏の発言は政治的公平や論点の多角的解明を求める放送法4条に違反する重大な違法行為であると断じている。特に岸井氏は同番組の「メインキャスター、司会者であり、番組と放送局を代表する立場の人物」であるから、コメンテーターとしての発言とは異なり、同条に明らかに抵触するという。

放送法4条は、放送局に対して一連の番組編集準則を求めているが、そこに含まれる公平原則(政治的公平と論点の多角的解明)をどう考えるべきか。意見広告のような論難は正当なものといえるだろうか。論点は多岐に及ぶが、いくつかのポイントを押さえておくことが必要だ。

公平原則は放送局の編集に際してのある種の規律を課すルールであることは確かだが、それだけで自足し、完結するルールではない。公平原則は、放送法上の番組編成の自由(3条)や放送による表現の自由(1条)、ひいては憲法21条に定める表現の自由を前提とし、そうした本質的な自由を侵害しない限度で許容されなければならないはずである。

そのことは、権力の監視を重要任務とする報道機関としての放送局にとって不可欠の要請でもある。

だとすれば、過度に厳格で一律の公平原則の押し付けは許されないことになる。

何よりも、番組編集の自由や表現の自由の観点や権力から独立し、権力を監視する見地からすれば、公平原則は厳密な法的ルールとしてではなく、本質的には倫理的、自主的基準として捉えることが妥当だと考える。

日本の場合はとりわけ、政府から独立した判定・実施機関を欠くなど、現行制度は適正な公平還俗の実施条件を備えておらず、これからすると公平原則につき法的制裁を伴う法規範として理解することは困難である。

 

  ー本文より一部抜粋ー

安倍政権の圧力とNHK政治報道の偏向

  ー戸崎賢二ー

     元NHKディレクター

 

安保法が施行され、日本が戦争に直接参加する事態が予想される歴史的段階に、「公共放送」NHKは今どのような時点に立ち至っているのだろうか。

ごく概略的に言えば、いまNHKをめぐって起こっていることの第一は、より明確になってきた政治報道の政府広報化であり、第二は「クローズアップ現代」問題で幹部を呼びつけ、総務大臣がNHKに「厳重注意」の行政処分を行うなど政府自民党の圧力の強まりである。

第三に、こうした圧力に屈服し呼応するNHK内の勢力の存在と職場の閉塞状況も見ておかなければならない。

ただ、こうしたネガティブな側面だけでNHKを捉えることは適切ではない。状況に抵抗する動きもまた

強まっている。籾井会長就任以来、NHKの在り方を考え、要求する市民団体が全国で急速に増加した。

放送界の第三者機関BPOは、政権与党の動きに厳しく抗議した。NHK内部でも労働組合の一部で、番組編成過程をめぐって、幹部と交渉するなどの動きが生まれている。NHKの現在は、一面では圧力と屈服、という否定的側面、他面ではそれに抵抗し批判する動きの強まり、という対立の先鋭化を特徴としている。

 

<政治報道の偏向>

筆者も参加している視聴者団体「放送を語る会」は、昨年5月から9月まで、安保法案の国会審議中のNHK、民放の主要なニュース番組の内容をモニターし、報告書にまとめた。報告は今年2月、かもがわ出版からブックレット「安保法案 テレビニュースはどう伝えたか」として刊行された。

その中でもっとも強調されているのは、NHK政治報道の偏向である。

報告書はこの間のNHK政治報道の特徴をつぎのように概括する。

「・・一言で言えば、政権側の主張や見解をできるだけ効果的に伝え、政権への批判を招くような事実や、批判の言論、市民の反対運動などは極力報じない。法案の解説にあたっても、問題点や欠陥には踏み込まず、あくまでその内容を伝えることに終始している。又、法案に関連する調査報道は皆無に近い」

 

「イスラム国への攻撃の後方支援、核ミサイルの運搬なども法文上可能」、といった防衛相の答弁などは欠落していた。

政権批判につながるような事実や批判の行動、言論などは極力伝えないか、伝えてもごく簡略にするという傾向はその後も続いており、その事例は枚挙にいとまがない。

高市発言は、政府が放送内容を審査し、停波も命ずることができる、という恐るべきものだった。安倍首相の高市弁護の欺瞞的な見解のみを伝えたことに、NHK政治報道の衰弱と屈服の姿をみる思いがする。

 ー本文より一部抜粋ー